大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和52年(ネ)2047号 判決

控訴人

近藤博

右訴訟代理人

山城昌巳

被控訴人

近藤タエ

右訴訟代理人

今永博彬

主文

原判決を取り消す。

控訴人と被控訴人とを離婚する。

訴訟費用は、第一、二審を通じて被控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠関係は、主張として、控訴人において、「一 控訴人は、被控訴人との婚姻破綻の原因として、性格の不一致と被控訴人の妻としての協力義務違反の事実のほか、不貞行為を主張する。即ち、昭和二六年頃控訴人の事業失敗から被控訴人は二子を連れて熊本に帰り、商売をするようになつたが、その際店員の朴某がいつの間にか被控訴人と同室で寝泊りするようになり、近隣の者達にもその事実が明らかとなつた。控訴人は、その当時右事実を恩師の和島龍男から聞き、大きな衝撃をうけた。被控訴人と夫婦関係を持たなくなつたのはその頃からである。そういう控訴人にとつて、妻以上に身の廻りの世話や子供等の面倒をみてくれる花の存在は、それまでにない女性としてのやさしさを供与するものであつた。控訴人が花と親密な関係になつていつたのは、右のような経緯による。二 控訴人と被控訴人との間に昭和三二年八月三〇日成立した家事調停においては、家庭裁判所の承認のもとに事実上の離婚を当事者双方が認め、子供が教育を終え成長したならば法律上の離婚をするとの約旨が定められたのであるから、被控訴人はこの契約を守らなければならない。控訴人と被控訴人との約二〇年続いた婚姻関係は、右調停によつて別居という形で基本的に変更され、その後は新しい生活関係が控訴人に積み重ねられてゆくとこを被控訴人は当然のこととして承知していたのである。果して爾後控訴人は新しい生活関係を積み重ね二〇年以上の歳月を過し、息子三人の結婚式には花が控訴人の妻として出席しており、子供は皆成人してそれぞれ独立の家庭を持つて今日に及んでいる。かくしてもなお被控訴人が法律上の離婚をしないというのは、控訴人の生活関係ないし社会的関係に及ぼす影響において甚大であり、信義にもとるものといわなければならない。三 以上の如く、控訴人と被控訴人との婚姻関係につき、破綻の原因をつくつたのは被控訴人の側であり、百歩譲つても双方に責任があるといわなければならず、かりにも有責配偶者の離婚請求を認めないとする法理を形式的にあてはめて、控訴人の本請求を排斥するのは誤りである。」と述べ、被控訴人において「一 被控訴人に控訴人主張の如き不貞行為はない。夫婦関係が持たれなくなつた時期、動機についても否認する。二 昭和三二年の調停は、その成立時の段階では離婚を考えないということと、別居期間中の生活費のとりきめをしたことに尽き、それ以上別居に積極的評価を与え、将来の離婚を予約、予定するものではなく、控訴人に花との同棲を許容したものでもない。三 控訴人と被控訴人との婚姻関係は破綻していない。控訴人と被控訴人との婚姻関係は花の登場までは正常なものであつたのであり、花の介在によつて目下妨げられているに過ぎないのである。被控訴人は控訴人の帰りをまつているのであるから、花の介在さえ排除されれば、換言すれば、控訴人の不貞行為が今後なくなれば、被控訴人と控訴人とが正常な婚姻関係に復することは明らかである。かりにこの婚姻関係が破綻しているとしても、その破綻の原因を作出したのは、控訴人の右不貞行為であり、更に前記調停で定められた生活費を昭和三九年以降全く支払わず、被控訴人を経済的に追いつめた控訴人の悪意の遺棄にある。従つて、有責配偶者である控訴人が離婚を求めることは許されない。」と述べ〈た〉ほかは、原判決の事実摘示と同一〈中略〉であるから、これをここに引用する。

理由

一〈証拠〉によれば、次の事実が認められ〈る。〉

(一)  控訴人(明治四四年三月二日生)と被控訴人(大正三年九月二二日生)とは、昭和一二年一一月八日婚姻し、その間に長女裕子(昭和一三年二月四日生)、長男康之(同一五年二月七日生)、二男義男(同一七年二月一一日生)、三男喬(同一九年八月六日生)及び四男久男(同二一年四月一三日生)を儲けたが、三男喬は同二〇年八月四日、長女裕子は同三一年八月七日それぞれ死亡した。

(二)  控訴人は、熊本の出身で、若くして柔道の修業に励み、母校○○学院(旧制中学)や○○警察練習所などで柔道の教師をするようになつたが、婚姻後三年程して上京し、△○大学専門部を修了、○○○○学院高等科を卒業するなどして、旧制高等学校の教員免許を得るまでに至つた。

これより先控訴人は、柔道の先輩で同じく熊本出身の辰島虎雄の姪(戸籍上は妹)にあたる被控訴人との婚姻を郷里の先輩北島清一郎に仲介されて決意し当時警察官の身分のまま熊本市で同一二年三月から結婚生活に入つていたが、勉学の志をたてて前記のように上京し、被控訴人もやや遅れて後を追い、爾後東京での共同生活に移つた。

(三)  戦後、それまで控訴人にとつて生活の糧であつた柔道が禁止されたため、控訴人は、初め醤油や水飴の販売、後には文房具等の学校納入販売に従事し、借家していた世田谷区東松原の家と敷地を買い取り、同二三年頃には中央区八重洲にも土地を買つてここに事務所(以下「八重洲の店」という。)を構えるようになつた。この間戦時中一時熊本に疎開していた被控訴人も子供らと共に東松原の家に移り住み、ここに再び夫婦親子の共同生活が始まつた。

(四)  控訴人と被控訴人との共同生活は、当初から必ずしも円満順調というわけではなかつた。即ち、結婚後まもなく、同居中の控訴人の母マキと被控訴人とが衝突し、マキは怒つて熊本市内に一人別居するに至り、控訴人夫婦の上京の際にもついてくるような状況にはなかつた。酒も煙草ものまず道楽もせず柔道と商売に励んだ剛直な性格の控訴人からみると、被控訴人は警察官の職業を暗に軽んじ、二言目には辰島家を鼻にかけ、経済観念に乏しく、家事をおろそかにして外出をよくし、子供の面倒をみない性格や生活ぶりにうつり、その主婦としての心構えや振舞いが潜在的な不満の種であつた。

(五)  昭和二三年春控訴人の友人の妹で未亡人となつていた角田花(大正元年一二月一八日生)が、洋裁の技術を身につけたいと控訴人を頼つて上京し、東松原の家に家事を手伝いながら控訴人らと共に住むようになつた。しかし、当初この同居を歓迎した被控訴人とやがて感情的なもつれを生じたため、同年秋八重洲の店の留守番をかねて同所に移り、そこから洋裁学校に通うこととなつた。

同二六年に控訴人は事業に失敗し、その負債整理のため東松原の土地建物を手離す羽目になり、為に被控訴人は、裕子と久男を連れて熊本に帰り、爾後二年余を経て再び上京するまで、熊本市にあつて紙や鉛筆などの販売をしながら生活していた。一方控訴人は、康之と義男と共に八重洲の店に移り住み、花が母親がわりとなつてまだ幼少の二子の面倒をみていた。

この間控訴人は、文房具類の販売に精励し、同二八年には文京区本郷(当時森川町)に取得した土地家屋に被控訴人と母マキを呼んで住まわせ、子供らと共に自らもここに同居した。ところが、その頃から控訴人は次第に八重洲の店に寝泊りすることが多くなり、やがては本郷の家と八重洲の店にほぼ一日置きくらいに泊るようになつた。その八重洲の店には、花が事務をとりながらひき続き住まつていた。なお控訴人と被控訴人との性関係は、被控訴人が本郷の家に入つてから以後ほとんどなくなり、裕子が死亡してから後は全く途絶えるに至つた。

(六)  昭和三一年一月四日に控訴人の母マキが死亡してまもなく、被控訴人は控訴人から籍を抜いてほしいと言われて驚き、控訴人と花との特別な関係に疑いをいだくに至り、その清算を控訴人に求めて夫婦関係調整の調停を東京家庭裁判所に申し出てたが、この調停係属中裕子が虫垂炎で死亡したため、控訴人の柔道の友人高野隆の助言もあり、調停の申立てを取り下げた。その際控訴人は、裕子の死に親の不仲の反映と被控訴人の看病の足りなかつたことをみて、花を熊本に帰すことを被控訴人に約すると共に、被控訴人にも帰つて謹慎するよう求め、先ず花を帰したが被控訴人は結局これに応じなかつたので、控訴人はいよいよ離婚の決意を固め、被控訴人と完全に別居して八重洲の店に住まうことになつた。

(七)  控訴人は、熊本に花が帰つて被控訴人が帰らず、控訴人のみ自らの非を認めた格好になつたことと、仕事の上で花が必要であることなどから、翌昭和三二年春頃花を呼び戻して八重洲の店に住まわせた。ところが、これを知つた被控訴人は大いに怒り、辰島虎雄の妻美香のすすめもあつて、その頃東京家庭裁判所に離婚の調停を申し立て、財産分与として一〇〇〇万円を請求するに及んだ。しかし、被控訴人は、右調停係属中その意思をひるがえし、裁判所側の助言もあつて、結局同年八月三〇日に「1 子供の教育、成長のため法律上の離婚は双方見合わせること。2 控訴人は被控訴人に対し別居期間中の被控訴人及び三子の生活費として昭和三二年九月より毎月二万五〇〇〇円を毎月末日までに持参又は送金により支払う。控訴人は、被控訴人が本郷の家の間貸しの賃料を取り立てて生活費に充当することを認める。3 被控訴人は前記家屋を控訴人に無断で賃貸したりその他の行為をしない。」旨の条項で調停の成立をみた。

(八)  控訴人は、被控訴人との合意に基づいてした右調停は、裁判所も事実上の離婚を認め、ただ子供の成長と教育の完了まで法律上の離婚を双方見合わすだけとしたものと理解し、爾後公然と八重洲の店において花と同棲生活に入り、更に翌昭和三三年には自ら被控訴人を相手に東京家庭裁判所に法律上の離婚と子供らの引渡を求めて調停を申し立てたが、被控訴人の同意を得ることができず不調に終つた。しかし、子供らが成長し教育を終えた同四八年八月控訴人は遂に本訴離婚請求を提起するに及んだ。

(九)  控訴人は、昭和三二年以来八重洲の店に花と共に住まつていたが、祖父の創立した○○学園の理事長の急死にあつたため、同四七年熊本に帰つて同学園理事長に就任し、花もやがて移り住んで現在に至つているが、その間康之、義男及び久男の結婚式には、控訴人は花を妻として共に出席し、花をして子供らの母親がわりを勤めさせた。また同五〇年五月に脳血栓のため半身不随となつたが、被控訴人との離婚の意思はいささかも動かず、花の看護を得て歩行可能となつた今日その意思はいよいよ固い。なお、控訴人は、前記昭和三二年の調停において定められた生活費は、康之及び義男が共に成人して大学を卒業し、また久男が高等学校を卒業して自立した昭和三九年まで履行し、あわせて教育費も負担してきたが、以後は送金していない。もつとも、昭和四九年に被控訴人が本郷の家を改築した際、その費用一六〇万円のうち八〇万円を支出した。また、離婚に際しては、被控訴人のために相応の財産分与を給付する確たる意思を表明している。

他方被控訴人は、別居以来控訴人が熊本に帰るまでに年一回位八重洲の店を訪れて前記調停成立の頃入信した宗教の布教をかねて控訴人の翻意を求めた程度で、格別関係改善のための努力をうかがわせるものは何もない。被控訴人の生活は、控訴人からの前記生活費の送金と本郷の家の間貸しによる賃料(昭和五〇年現在一か月六万五〇〇〇円)及びアルバイトによる収入(同一か月約二万五〇〇〇円)によつて支えられてきたが、現在本郷の家に一人で暮し、控訴人の復帰を信じて離婚を拒みとおしている。

二以上認定の事実によれば、控訴人と被控訴人との婚姻関係は、被控訴人の信念にもかかわらず、控訴人の復帰を到底期待することができず、今や回復不能といえるまでに破綻しているものと断ぜざるを得ないとともに、ことをここに至らしめたについては、性格の不一致による夫婦協力義務についての双方の懈怠を挙げなければならないが、花と婚姻外関係にある控訴人の責任を念慮の外におくことはもとより相当でない。(ちなみに、被控訴人が昭和二六年から同二八年にかけて熊本に居た際、朴某と不貞行為があつたとの控訴人の主張は、〈証拠〉に照らして未だ十分な心証を惹くに足りず、他にこれを認めるべき証拠はない。また、控訴人は、前記のとおり昭和三九年以降被控訴人に対し生活費の送金をしていないが、被控訴人が本郷の家に居住することと間貸料を取り立てて生活の資にあてることを許容しており、家屋の改造費も支出しているのであつて、子供らの教育費も別途負担していたことなどが認められるから、控訴人が被控訴人を悪意で遺棄したとの被控訴人の主張もたやすく容れることはできない。)

思うに、民法七七〇条一項各号、同条二項及び同法一条の諸規定を勘案すれば、婚姻関係が回復不能といえるまでに破綻している場合は、いかなる有責配偶者からの離婚請求であつても、無条件にこれを認容しなければならないとまで論断するのは困難であるが、さりとて破綻原因における有責の烙印を決め手として、他の事情は一切顧慮することなく離婚を拒絶すべしとすることにも同じ得ないのであつて、既に別居生活が相当な長期間にわたつて存在し、かつ、別居に至つたについては、有責性が一方的なものではなく、家庭裁判所の調停などにより真摯な和合の試みが経由されたものである以上、離婚によつて子の福祉が害されたり、相手方配偶者が経済的な窮境に放置される等特段の事情がない限り、むしろ婚姻破綻の事実を直視して、離婚をやむを得ないものとして認容することができると解するのが相当である。

これを本件についてみると、前認定の事実関係によれば、控訴人と被控訴人との別居期間は現在すでに二〇年をこえ、本訴提起時までをとつてみても一六年間に及んでいること、別居は家庭裁判所の調停による夫婦間の調整が試みられた後、その助言と承認のもとに被控訴人の同意を得てなされたものであること、その際法律上の離婚は見合わされたものの、それは子供らの成長と教育のためとされ、婚姻関係そのものは、事実上崩壊しているとの認識が、この別居調停に含意されていること(もつとも、控訴人主張のように、これをとらえて離婚予約の如きものを観念することはできず、従つてその約旨に基づいて法律上の離婚を求め得るとすることはできない。)、別居前控訴人は、花と親密になり、性関係すら推認されなくもないが、これを認めるにはなお躇躊を覚える反面、別居に至らしめたについては、控訴人と被控訴人との性格の相違等必ずしも控訴人にのみ責めを帰すべきでない事情に由来する潜在的な夫婦間の不和が根底にあつたこと等を知ることができ、他方控訴人と被控訴人との間の子らはいずれも既に成人し、高等教育をうけて自立するに至つており、今更父母の離婚によつてその福祉に支障を生ずるが如きことは全くないこと、控訴人は別居期間中悪意の遺棄とみるべき行動に出たことはなく、離婚になつた場合の被控訴人に対する財産的給付についても確たる配慮をしていることをうかがうに足り、前記特段の事情を認めるのは却つて困難であるから、本件は、たとい婚姻関係の破綻につき責任のある控訴人からの離婚請求であつても、その有責性が婚姻を継続し難い重大な事由があると認めて右請求を容れるのに妨げとなるものではないといわなければならない。

三よつて、控訴人の本訴離婚請求は理由があり認容すべく、これを棄却した原判決は不当であるから取り消すこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(林信一 高野耕一 石井健吾)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例